『扶桑武侠傳』について、簡単に紹介します。『扶桑武侠傳』はRPGのシステムですが、「RPG」や「システム」については説明しません。知っていることを前提とします。もしご存じない場合は、馬場秀和さんの「初心者のためのRPG入門」をご覧ください。
参考——他サイトでの紹介
他にもあったら、教えてください。
『扶桑武侠傳』の舞台は扶桑と呼ばれる島国です。扶桑は凡そ14世紀、鎌倉〜室町時代の日本のような所です(島の形も似ています)。同じような自然、同じような文化を持ち、そこに生きる人も本質は何ら我々と変わる所はありません。朝廷は東西の二つに分かれて各々勝手な治世を行い、そのせいで世は乱れ、弱き者はなす術も無く時流に流されています。と言ってもその時代の“お勉強”はしなくてもいいと、はっきりルールブックに書かれています。ファンタジーRPGなので実際の日本と違う所も多々あります。その最たる物はなんと言っても武侠の存在でしょう(ファンタジーとは言いましたが、妖怪変化の類はここ扶桑にはいません。プレイヤー・キャラクターが相手にするのは、感情を持った同じ人間です)。
武侠と言ってもその考え方は様々ですし、武術の流派も異なります(そもそも武侠とは何かについては、下の「プレイヤー・キャラクター」の節を参照してください)。扶桑の武侠は、その力を振るう理由によって大きく三つに分かれます。即ち、朝廷を守護し法を律する正派、力弱き民の為に動く侠派、法や因習に囚われず己の正義の為に生きる邪派の三つです。また、武術の流派によっても分けることができ、プレイヤー・キャラクターとしては六つの門派が許されています。もしかしたら、サプリメントによって追加されるかも知れません。
巨悪があると言えば正派が派遣され、民が朝廷に虐げられれば侠派が黙っておらず、邪派は勝手気ままに暴れ回る。彼等の思惑がぶつかる時、そこにドラマが生まれ、江湖が、そこに住む人々が、その大きさに震えるのです。
『扶桑武侠傳』のPCは武侠です。武侠と言うのは、体内の“気”(彼等は「内力」と呼びます)を操る術を学び、武芸の訓練を怠らないことで、一般人では到底及ばないような強さを身に付けた人のことです。強さだけではありません。内力を巧く使うと、武芸のスタイルに応じて、空を飛んだり掌から炎を放ったりと、およそ人体には不可能と思われる芸当すらできてしまうのです。
では、武侠はその力を持って、一体何を為そうというのでしょうか? 勿論「それぞれによる」のですが、一般に「決して忘れられない記憶」の為と言っていいでしょう。とても嬉しい記憶、悲惨な記憶など、どの武侠も必ず[消せない記憶]を持っています。そして、その喜びを広める為や二度と悲惨なことを繰り返させない為に、[生き様]を一つ定め、それを貫きながら扶桑と呼ばれる島国を旅しているのです。
例を挙げましょう。「子供の頃、謎の武侠に野良犬のような自分の癒えない心の傷を癒してもらった」という[消せない記憶]を持つ武侠は、その時に絶望的でも笑顔を絶やさぬことの大切さを学び、「喜楽」の[生き様]に生きるようになるかもしれません。そしてかつての自分と同じような子を救う為、扶桑を旅して回るのです。
つまり、『扶桑武侠傳』のプレイヤー・キャラクターは、アジアン・ファンタジー世界「扶桑」を旅し、事件に巻き込まれ、どんな苦難にあっても自らの[生き様]を貫くことを忘れない人達なのです。
こう書くと、かなりストイックな、ハードボイルドなキャラクターを作る人が多いと思います。が、武侠映画などによく出てくる武侠はあまりそうではありません。酒も女も騒ぎも大好きな、しかし最後の一線、生き様だけは譲れない、という人が多いようです。
「最初は知らなくても、ゆくゆくはそのような武侠を演じられるようになろう」と思う必要はありません。と言うのも、ルールブックの各章扉に書かれている小説では、前者、即ちストイックな武侠が描かれているからです。
セッションの時にはどちらを演じる人もいると思うので、他の武侠がどんな武侠かを把握し、相手も自分も引き立てられるようなプレイを試みてみましょう。
ところが、実は、扶桑に生きる武侠は、戦い、そして殺す以外のことができません。武芸に固執するあまり、それ以外のことを学ばなかったからです。扶桑のどこにいても同じ武侠と巡り合い、互いに生き様をぶつけた後には無関係の、傷付いた人達が残される、『扶桑武侠傳』はそんなゲームなのかも知れません。
武侠はその力の源を命力と内力の二つに持ちます。命力というのは肉体を鍛えることで得る、力の強さ、体力などです。これが武力に通じることは容易に想像できると思います。一方、内力とは、「気の力」のことです。武侠は、気の力を練り、外に放つことで、前述のように、尋常でない速さで走ったり、空を飛んだり、剣から気を放つだけで遠くの敵を傷付けることができるのです。
これがルールでは、[命力判定][内力判定]という二つの判定で表されます(『扶桑武侠傳』では、ルール用語は[]でくくられます)。ある行動を取りたい時に、「命力」即ち肉体の力で行うか、“気”を練って「内力」に頼るか、プレイヤーが選ぶことができるのです。では、この二つにはどのような違いがあるのでしょうか? それは、[命力判定]にはサイコロを用い、[内力判定]にはトランプを用いるという点です。武侠によって命力に秀でているかそれとも内力が得意なのか、ここに差があるのですが、単に得意な方を使うのがいいとは言えません。内力系の武侠でも、後の為に手札を温存しようと、[命力判定]をすることがあります。逆に命力系武侠は、[内力判定]でだけ使える裏技が多いので、その為に不得手な[内力判定]をあえて行う、ということも珍しくありません。その都度、どちらが自分にとって一番いいか考えなくてはならない、判定だけでも奥深いルールになっています。
基本の判定はこの二つだけで、あとの特殊ルールは、行動をより巧く行う為の「裏技集」のような物です。
が、一つ変わった判定をご紹介しましょう。[花鳥風月]です。プレイヤーは、「ここが自分の武侠の見せ場だ!」と思った時に[花鳥風月]を宣言することができます。手札からトランプを一枚出し、そのマークに合わせて、場面を演出する権利を得るのです。例えばハートは「花」、悲しい過去を秘めた宿敵を倒さざるを得なかったままならなさを示すかのように、一枚、樹から花びらが落ちる、ということを、「プレイヤーが勝手に」行うことができるのです。言葉では伝わり難いかもしれませんが、「自分のキャラクターを好きに演出していい」というのは、意外と爽快です。普通は、何をするにも、多少なりとGMの許可を求めなくてはならないのですが、その制限から開放されるわけです。もっとも、「格好悪い」演出を行ってしまうと、GMの操る武侠が強くなってしまうルールになっていますが(笑)。
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